先日、上野の弁才天にお参りに行きまして、芸術の神様でもいらっしゃいます弁天さまに、
今後ともどうぞよろしく
とまぁそんなご挨拶をしてお堂を降りたところの、すぐ隣にこんなでっかいものが。
ここにお参りにくるのは初めてでは無いのだけど、
初めて目に入った 八橋検校顕彰碑
六段を「カバー」させて頂いてる月宵
ちゃんと挨拶して行けということでしょう。
細かく彫り込んであるのが読みづらかったので、ここに載せておきます。
頌辞
箏は古来雅箏や楽箏で知られていたが、概ね高雅に過ぎて庶民階級の音楽としては縁遠いものであった。そこでこの箏を通俗化して民衆の音楽とすることを念願した八橋検校は、盲人の音感性能と全身全霊をそれに傾注して箏曲の民衆化を企図した。 即ち俗耳に入り易い箏曲として、筑紫楽の曲を或は増補改訂し或は編曲して俗箏の新調(平調子)に乗せ、別に新作を加えて、箏絃の十三本に因み十三曲を俗箏の本曲として世に出した。 歌詞も古雅の格調の高いを選び別に調子を雲井にして、当時流行の弄斎節を唄った雲井弄斎と、外に歌詞のない平調子の「しらべもの」六段八段乱輪舌を箏の調べの真行草の純器楽曲とし、合わせて十七曲を今に伝承しておる。 中でも六段は整然とした形式で 前奏の外格段何れも定規の拍子数で、三百年来些かの狂いもなく現代まで流行をつづけている箏曲の代表曲である。そしてそれは八橋検校の魂のこもった音霊そのものの伝統である。
かくして脈々三百有余年、声楽万能の徳川期に敢然として器楽性に富む箏曲を固守して、盲人独特の官能をもって箏の真韻を得て、生田山田その他の各流を生み、今も尚わが民族の楽心をあたためているその功は日月と共に消えないであろう。 斯くして非凡の卓見による八橋検校の抱負は筑紫箏に育ち俗箏として根を下ろし、三曲としての花を開き、邦楽に結実して今や国際的にまで進出しているその筝曲の根幹は、実にわが八橋検校の偉大なる功業に成るものである。 昭和四十年は八橋検校生誕三百五十年祭に相当するので、日本三曲協会はその功績を讃して記念演奏会を催し、それを機会に輝かしい検校の偉功を表彰して永遠に伝え、更に三百幾十年前の八橋検校の音霊と相通ずるものを六段に求めて、八橋精神こその風格芸魂を敬仰することにした敢えて顕彰碑を建立する所以であろう。
昭和四十一年八月二十一日建之
八橋検校の音霊と相通ずるにはまだまだ長い道のりが必要だが、
続けて行けばなにかしら見えてくる。神様にそういわれているようでした。